UNLOCK REPORT

急に道で他人に殴られるかもしれないコストを払うべきか?

November 01, 2020

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色々と仕事がひと段落して、今日は自分の会社のお金の処理をしていた。 住民税、所得税、社会保険の金額は基本的に変わらないため、税務用口座を作って、そこに毎月自動振込する設定を施した。 請求書の作成も、マネーフォワードで毎月テンプレートから自動作成しているので(日付などは変数化している)、ファイナンスの部分に関してはかなりの部分自動化出来た。月次の処理は数字のチェックだけで、15分以内で済みそう。

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以前、子会社の役員をやっていて、役員報酬0円で働いた結果、なぜか100万円以上を親会社の役員に”個人贈与”するという意味不明な結末を迎えたりしました。どんなことでも、何かの糧になったり学びがあるものだけれど、今回の件に関しては一貫して”学ばない”という態度を取ろうと思っています。

ディテールを語るにはオールナイトで飲み明かす必要があるので割愛しますが、今回のことから学ぶことといえば、「他人の言うことを信用してはいけない」などの、人間に対する不信感を募らせるような学びになってしまうのです。だって、社員が所属する会社の役員に個人的に100万円以上贈与するとか、あり得ないじゃないですか。金の切れ目が縁の切れ目ではないけれど、お金を払うことで人間関係をリセット出来たと言う意味では良かった。今まで生きてきて一番理不尽かつ納得できないことだったので、せめて何かを学ぼうと思ったのだけれど、ここからは何も学んではいけないと思うのです。

例えば、たまたま道を歩いていたら急に頭のおかしい人が殴りかかってきたとする。 そういう経験から学びを得ようとすると、「道を歩いていると誰かに殴られるかもしれない」と警戒して街を歩かなければいけなくなる。 道を歩くことがとても怖く感じるだろうし、日常生活に支障をきたすだろう。

上の例は極端だけれど、それでも極端なひどい仕打ちを受けた時に、本当にこれは学びを得るべきことなのか?と一度考えた方が良い。

「学びや教訓を得ない」ことが今回の自分の学びなのだから。

(参考)
https://ch.nicovideo.jp/kawango/blomaga/ar432528

【追記】
今一緒に仕事をしている人達は、金銭面の損得だけではなく、人間関係を大切にしてくれる人達なので、そういう人達に対して疑って警戒する態度になってしまうのはとてもよくないと思った。強いて教訓があるとすれば「テイカーとは付き合わない」かもしれない。これについてはまたどこかで書く。