歳をとると頭が悪くなる仕組み
November 07, 2020
“みんなの筋肉体操”、結構長続きしているのだけれど、前日にどの部位を筋トレしたのか思い出すのが億劫なのでカレンダーの予定を「筋肉体操」から「シーズン1 腹筋」など細分化して予定を組んだ。腕立て伏せだけ辛すぎるのでイージー版をやっている。
日中は吉祥寺で本を買って、息子と二人で井の頭公園へ。法人税関係の本と確定申告の本を買った。 夜はNetflixで「Bump of Chicken」のライブを観た。ライブを初めて観たけど、終盤熱いメッセージがあって良かった。 その後、色々調べていたらバンドで不祥事があって解散危機だったことを知る。有名なアーティストでもそういう情報って能動的に調べた時に初めて認知出来るものなんだね。
昔から、頭のよい人って一定数周りに存在していて、でもそれぞれ方向性というか指向性が違うなぁと感じていたものを言語化出来そうなので書いてみる。
まず、人の頭のよさを分析する時に、大きく分けてハードウェアとしての頭の良さとソフトウェアとしての頭の良さがあると思う。 ハードウェアとしての頭の良さ = 先天的なものだと思っていて、それは「記憶」を呼び出す「速さ」と「精確性」にあると思う。
例えば、算数の計算能力。これは何かを考えているわけではなく、単純に記憶を精確に呼び出して再合成するっていう”作業”。複雑に何かを考えているわけではなく、使っている能力は実は記憶にある四則演算の答えをワーキングメモリに精確に転記して、再呼び出しをする。という行為を繰り返しているに過ぎない。2桁の掛け算(37×54)とかを瞬時に出来るとか。そういう能力はこの能力だと思う。
このハードウェアとしての頭の回転が速い人ってパソコンで言うとCPUやメモリの性能が良い人をイメージしてもらうと良い。 単純な計算能力だけでなく、例えば会話の中で少し前の内容を引用してコミュニケーションを展開するとか、(どう引用するかはまた違う能力だと思うけれど)記憶を呼び出す「速さ」と「精確性」という意味では、これらはあらゆる能力の基盤となるハードウェアとしての頭の良さだと思う。
一方で、ソフトウェアとしての頭の良さもある。これは、後天的に努力や経験を経て技術として獲得する能力。 単純な計算能力を見ても、例えば25×32だったら、25×30 + 25×2 みたいに分解して計算するとか、よく使う計算結果を覚えておくとか。 256 × 256 = 65536などは、覚えていれば瞬時に出せるけど、これは知っているからわかるわけで。例えば、256 × 128を暗算しろと言われたら、上の結果が頭に入っている人だと65536を2で割るだけなので、割と瞬時に答えを出せたりする。
このように、後天的な能力の影響が低そうな計算能力一つとっても、ハードウェア(先天性)の頭のよさと、ソフトウェア(後天的)の頭のよさは一見、見分けがつかなかったりする。スポーツでもこの傾向は顕著で、いろんなスポーツの経験がある人は初見のスポーツでもそれなりに結果が出せるので、「運動神経が良い人」という評価になるけれど、これは過去の経験によって獲得した汎用的な後天的能力だと思う。
上で分類した後天的に獲得する能力(ソフトウェア)も大きく分けて「OS」と「アプリケーション」に分けられる。 前者は汎用的な能力(人間力とか言うのかも)として、後者は業務やある特定領域に特化した能力として育っていくものだと思う。
このOSとしての能力はハードウェアとしての能力とのバランスがとても大切で、例えば20年前のハードウェアで現在の最新のOSを動かそうとしても、パフォーマンスが全く出せないように、自分の先天的な能力に合わせた適切なOSを自分自身の脳にインストール(あるいはアップデート)していく必要がある。人はハードウェアの性能以上のOSを自分の脳に構築してしまう傾向があると思っていて、職業能力の高い人はこのチューニングがとても上手い人なのかなと思う。
マクドナルドの店員として求められる能力と瀬戸大橋の設計で求められる能力が違うように、必要とされるOSやアプリケーションは全然違う。 瀬戸大橋の設計をするOS/アプリケーションの感じでマクドナルドの店員をしても、マクドナルド店員と同等の速度と性能は出せない。どちらがより優れているか。と言う話ではなく、どのようなOSを自分に構築して、最大のパフォーマンスを出すかを意識するのが大切という話。
すごく言葉は悪いけれど、頭が悪い人でも、軽いOS(あんまり深く考えないようなマインド)を搭載すれば結果は出せることがあるし、逆に能力の高い人が能力以上のOSを搭載して、考え過ぎて仕事ができない人になってしまっている事例もあると思う。
ただし、ハードウェア・ソフトウェア共に優れている人にはどんなに軽いOSを搭載しても総合力では勝てない。なので、ハードウェアとしての自分の能力が相対的に低い人の取る戦略は、OSを軽くして、何かに特化したアプリケーションを構築することだと思う。
結局、あまりまとまりがない感じになったけれど、この辺りでタイトル回収をしようと思う。
「歳をとると頭が悪くなる仕組み」は、このOSやアプリケーションが経験値によって最適化されて、ハードウェアの処理効率が上がた結果、同じことを処理するのに必要な脳の負荷が下がることにあると思う。若い頃(経験値の低い頃)にはとても脳に負担をかけないとできなかったことが、後天的な能力として簡単に出来るようになる。同じパフォーマンスを低負荷で出せるようになるので、成長しているように見えるけれど、ハードウェアに負荷がかからなくなっていく。そうすると、「考える力」がどんどん失われていき、年齢を重ねるごとに人は能力が下がっていき、保守的になっていくのではないか。と言うの最近の考察。ハードウェアの性能は、負荷を下げれば下げるほど下がっていくものなので、ソフトウェアの最適化と負の相関がある。なので、年齢を重ねて自分の脳が最適化されていったとしても、定期的に新しいこと学び続けて、危険な最適化が発生しないようにすることは大切だと思いました。