検証コスト経済
November 22, 2020
今日は朝ごはんはパン屋でパンを買ってきて、家でスープを作って食べた。昼はカルディでチキンライスの素を買って、ジャスミン米をスーパーで購入。奥様がチキンライス用に鶏肉を生姜で漬けて冷凍してくれていたので、非常に美味しく仕上がった。夜はチャーシューラーメンを自炊。醤油とチキンスープの素と麺つゆを混ぜるといい感じのスープが出来上がった。
日曜日でも郵便局の窓口が開いていたので、印紙を買って、基本契約書など諸々に押印、送付などの事務作業を実施。 Netflixで「スタートアップ」という韓国ドラマを観始めた。梨泰院クラスに続き、韓国のお父さんは起業すると死亡フラグが立つようです。
最近、他人から薦められたマンガを読んだり、ドラマを観たりする機会が多い。自分の趣味や嗜好と近い人の推薦する作品は打率が高いので(といっても、2割程度)、定期的に情報交換して、面白い作品に出会うことが増えたと思う。こういった「検証コスト」を他人と共有することは、マンガやドラマに限らず、「この人が薦めているなら」という風に、人に紐付いた情報として価値を生み出すことがある。最近はYouTuberやブロガーが「検証コスト」を払い、検証結果を共有・加工することで、色々な二次コンテンツが生まれている。この「検証コスト」を自分で払っている人はとても魅力的だし、会話をしていても楽しい。YouTubeやブログでも、実際にその人が検証コストを払っていないコンテンツは人気が出ない。「##という本が面白いらしい」「○○がXXと言っていた」「最新の**は##らしい」(でも自分では読んでない/ 買ってない / 使ってもいない)みたいな人の情報は薄っぺらいし、魅力もないだろう。
検証コストを自分で払わず、“他人に払ってもらうもの”という考え方もある。Give & Takeで検証コストを共有するのではなく、(ネットの情報などを中心に)一方的に検証結果を与えられ続けていると、こういったスタンスになっていくものなのかもしれない。検証コストを払う人の方が少数派だし、魅力的なのだけれど、検証コストを自分で払わない人がマジョリティだからこそ検証コスト経済が成り立っているとも言える。生産者と消費者の構造と似ている。